キプロスの歴史からキプロス問題や治安について解説

キプロスの歴史 

キプロスは、地中海に浮かぶリゾート地でありながら国内が二つに分断されている国です。どのような歴史から分断国家になってしまったのか、キプロスの歴史を紹介するとともに現在のキプロスについて詳しく説明いたします。

 

キプロス問題とは?

キプロス内には、島内の北部37%を占める「北キプロス・トルコ共和国」と南部の「キプロス共和国」の2つの国家が存在します。この2つの国家は、国内の「グリーンライン」と呼ばれる緩衝地帯を境に南北に分断されています。キプロスの北部3分の1は北キプロス・トルコ共和国に実効支配されていますが、現在北キプロスを承認している国家は、世界でトルコのみとなっています。これまでに国連の仲介により何度も話し合いが行われて来ましたが、キプロス再統一はまだ現実になっていません。南北に分断されたまま2004年に南部のキプロス共和国のみ、EUに加盟しました。

キプロスの歴史 

キプロスはとても歴史が古い国です。どのような歴史をたどり、キプロスは分断国家になったのかキプロスの歴史をみてみましょう。

 

英国領時代 

1878年にイギリスがキプロス島を西アジア支配の拠点として占拠してから、イギリスの支配が続きました。1955年に、反植民地支配、ギリシャとの合併を求める運動が島中に広がりました。その後1960年にキプロスは、キプロス共和国としてイギリスからの独立を果たしました。

南北分断の歴史 

キプロスにはギリシャ系とトルコ系の住民が住んでいます。キプロスがイギリスから独立してからまもなく、1964年、1967年に住民間の武装衝突が生じました。その後1974年に、トルコ軍がキプロスに侵入し北キプロスを占領、1983年に「北キプロス・トルコ共和国」を宣言しました。現在も北キプロスを国家として認めているのはトルコだけですが、トルコ軍は、北キプロスへ駐在を続けています。2004年にキプロス再統一の国民投票が行われましたが、キプロス再統一案は無効となり、現在でも両者での話し合いが続いています。

キプロスの現状 

 

現在キプロスは南北に分断中となっていますが、約半世紀も武装衝突はありません。南北の行き来は、国内の数か所に設けられているゲートでパスポート提示の上でできるようになっています。その為、仕事や買い物で行き来する生活、週末などを利用して休暇で行き来する人がいます。特に首都ニコシアのゲートは観光名所にもなっているので、多くの観光客が北と南を行き来しています。また、北側の現地校と南側の現地校が交流の機会を設けて、双方の生徒達が交流を取れる機会を作っている学校もあります。南北の交流は着実に増えています。

 

キプロスの治安  

キプロスは、治安が良く非常に安全な国です。キプロスがどんな国か詳しく知らない方は、紛争中と聞くと危険な国だと思ってしまうでしょう。しかし、紛争が治安に及ぼす影響はほとんどありません。ヨーロッパではリゾート地として知名度が高く、2022年は年間320万人の観光客がキプロスを訪れました。

キプロスの治安の良さは、世界と比べても歴然です。NUMBEOの国別犯罪インデックスのランキングによると、2022年の統計結果ではキプロスは世界で第34位に犯罪率の低い国としてランクインしています。日本は第9位、同じく地中海のリゾート地であるマルタは第52位です。治安が良いとされ、語学留学に人気のマルタよりも更に犯罪率が低いのです。日本人の留学先として人気のカナダは第60位、オーストラリアは第63位です。数字で見ても圧倒的な安全さが確認出来ます。キプロス旅行や語学留学を考えている方は、身の危険を感じることはほとんどなく、キプロスを楽しむことができるでしょう。

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